占守島の日本兵遺骨、初の身元確認 上智大学徒兵の井戸井重市さん 終戦後8月18日にソ連軍上陸の島【シムシュ島】

占守島の日本兵遺骨、初の身元確認 上智大学徒兵の井戸井重市さん 終戦後8月18日にソ連軍上陸の島【シムシュ島】

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コメント(3) 

 
  • 終戦後、8月18日にソ連から攻め入られ激しい戦闘が起きた千島列島・占守島(シムシュ島)の日本兵遺骨が初めて特定された。
  • 今回身元確認されたのは上智大学徒兵の井戸井重市さん(当時23歳)だ。

 

 

2ちゃんの感想・反応

シムシュ島の悲劇はもっとたくさんの人に知られてしかるべき。ご遺族が生きている段階で特定できてよかった。

ニュースソース

 日ソの部隊がそれぞれ少なくとも死者数百人を出した第二次大戦末期の激戦地、千島列島北東端シュムシュ島(占守島、現ロシア領)で昨年夏に収集された遺骨の一柱が北海道小樽市出身の井戸井重市さん=当時(23)=だとDNA鑑定で確認された。厚生労働省が五日、遺族に伝えた。占守島の日本兵遺骨はこれまで四十三柱が収集されたが、身元特定は初めて。

占守島の日本兵遺骨・上智大学の井戸井重市さんの顔写真画像 英霊

 ポツダム宣言受諾後、武装解除を進める中で戦いを強いられた戦没者の遺骨が戦後七十一年を経て初めて故郷に戻る。九月一日に北海道職員を通じて引き渡される。妹の湊百合子さん(81)は「あまりにうれしく、言葉にならない。兄自身も喜んでいるだろう」と話した。同島での戦闘に参加した元兵士や遺族らは新たな身元確認につながればと期待している。

 井戸井さんは上智大(東京)在学中に出征を命じられた。両親は既に他界したが、出身地の小樽市など北海道では妹や弟が帰りを待っていた。

 遺骨はロシアの調査団が発見、昨年十一月に日本側に引き渡した二十七柱のうちの一柱。「認識票」と呼ばれる兵士の身元を示す金属札と、「井戸井」名の印鑑と一緒に、塹壕(ざんごう)内で見つかったという。今年六月三十日に厚労省で行われた戦没者遺骨のDNA鑑定人会議で井戸井重市さんと特定された。印鑑などはロシア側が管理しており、日本政府が返還を求めているが、見通しは立っていない。

 日ソ中立条約を破棄し一九四五年八月に対日参戦したソ連軍は十八日未明、当時日本領の占守島に上陸。日本軍守備隊と戦闘になった。二十三日に停戦協定が成立した。

シムシュ島

 占守島の遺骨収集は、南方と比べ遅れている。冷戦の影響で遺骨収集がソ連末期の九〇年までできなかった上、島に一般住民がおらず遺骨の情報が乏しいことや、上陸が制限されていることなどが原因。
  (共同)

via: 東京新聞:遺骨は上智大学徒兵 千島・占守島、初の身元確認:社会(TOKYO Web)

2ちゃんねるの反応・意見

戦史はさっぱりわからんからお前らちゃんとした情報を頼む

降伏して武装解除した後にソ連が攻撃しながら上陸してきた。
しゅむしゅ島や歯舞などの守備隊の反撃が女性や子供の退避する時間を稼ぎ、ソ連の北海道進攻の野望を諦めさせたのよ。

8月15日の玉音放送と全軍への公布で太平洋や中国大陸の全日本軍部隊に停戦命令(但し自衛のための戦闘は続行してもよい)が下されるが
この時点ではまだポツダム宣言に調印していなかったので、満州や千島列島ではソ連軍による日本軍や日本人への攻撃が続く

ソ連はカムチャツカから千島列島を南下して樺太全島と北海道の北半分の占領を目論み、8月18日に千島列島最北の占守島に上陸を開始する
一方の日本軍守備隊も直ちに再武装して、島内に残っていた民間人を島の南から船で逃がしつつ上陸してきたソ連軍を相手に戦闘を開始する
3日後の21日にソ連軍との間で停戦合意が取れたため、占守島の戦いは幕を閉じる

この3日間の戦闘でソ連軍の侵攻速度を遅延させ、おかげで北海道の占領を防ぐことが出来た

卑怯な国相手に本当によく戦ってくださいました
安らかにお眠りください
合掌(-人-)

大戦末期じゃなくて終戦後、だろ

末期っつーか降伏した後だよね

その他、感想

ロシアほど、卑怯な国はない

印鑑返せや

南無

しゅむしゅ島の守備隊には本当に頭が上がらない。もっと日本国民に知られるべき話だよ。

よかったなぁ
ご家族生きててよかった

ソ連の侵略から北海道を守った英雄だ

ソ連は簡単に上陸占領できると思ってたら物凄い戦死者だして北海道まで行くのやめたんだよ

【結論】
全ての元凶は朝鮮人

爺さんはしゅむしゅ特攻→シベリアの生き残りだった

足の指が2本無かったよ

その他、2ch反応

この時代の上智は男子校だった
女子が入学できるようになったのは1957年

無法を承知で対日参戦したことも、ポ宣言受諾通知を無視したことも、
婦女暴行など悪逆非道の限りを尽くしたことも、シベリア等での長期の強制労働も
すべて日露戦争の恨みを晴らすためだったのだと思う

参戦したもの勝ちだよな

フルボッコやん

樺太だかでは女子の集団自決とかあったんだよなあ(´;ω;`)

電話交換手達な

真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)とは、太平洋戦争末期の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。当時日本領だった樺太では、ソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年8月15日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)[1]とも呼ばれる。 自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員からも、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる[2]。

via: 真岡郵便電信局事件 – Wikipedia

戦争は勝ちさえすれば後は何とでも言い訳できるからな

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占守島の日本兵遺骨、初の身元確認 上智大学徒兵の井戸井重市さん 終戦後8月18日にソ連軍上陸の島【シムシュ島】」への3件のフィードバック

  1. 真岡郵便局の悲劇は映画化されたけど‌
    外務省が上映させなかったんだよね

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  2. この方々は本当に英雄。アメリカにやられて徹底的に国力が壊滅状態だった時期に、一方的に侵攻されたにも関わらず、ソ連側の方が圧倒的に損害を出した。実質的に日本の勝利。にも関わらず、シベリアに連行されて特に虐待を受けた。ロシアは絶対に信用ならない。

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