保守・愛国向け戦争体験】そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ【連載3】

保守・愛国向け戦争体験】そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ【連載3】

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  • 保守寄りの考え方が多いニュース速報(旧速)に「そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ」なるスレがたった。
  • ボリュームが多いスレなので、分割しシリーズ化します。当記事は第3弾となります。(2016年版は全4記事)

 

 

2ちゃんの感想・反応

2ちゃんニュー速民は割と話を盛る傾向があるけど、本当なんだろうなって思えるものもたくさんある。

2ちゃんねるの反応・意見

爺さんがビルマで現地農民達の農耕の手際が悪かったから部下に農作業指導させたら
現地で敵に捕まって現地人虐待してないかの首実検されてる時に現地の人達が殺すなと庇ってくれたそうな

婆さまの兄(大伯父)は南方の戦線で片腕を失った傷痍軍人だったな。
そのストレスか知らんけど粗暴な性格になって子育てしくじったそうで、
その息子は親戚中から鼻つまみ扱いされるクズになって、
罪滅ぼしとでも思ったのか、ネグレクトされた孫を引き取って養育してたわ。

爺さまは佐世保の軍工場で戦艦の砲弾を作ってたと言ってた。
原爆投下一週間後の長崎に、瓦礫撤去と遺体の回収作業で入ったらしいんで、
軽度の被爆を受けてたはずなんだが、
78で脳溢血でぽっくりいくまで個人タクシー営んで自由気ままに暮らしてたわ。
バブル期にしこたま稼いだそうで、一番いい時代を過ごしたんじゃなかろうか。

父方の爺さんはロシアに行ってたってことしか話してくれなかったな。
結構お偉いさんだったのよと聞いたが、どのくらい偉かったかは知らんし興味なかった。
白っぽい軍服に勲章?沢山付けた写真を見せてもらったが、ヤラれた ヤったって話は一度も聞いたことがない。
もらった勲章もガラクタと一緒にクッキーの缶に無造作に放り込まれてて大事にされてなかった。

2ちゃんねるの反応・意見

母方の爺さんは徴兵に志願したが身長が足りず兵隊になれなかった。
上げ底の靴を履いて行ったり 村のお偉いさんに頼み込んだりもしたようだがダメだった。
それだけが悔しい悔しいってよく言ってたなー。

祖父は戦前に土木技師として朝鮮に渡り橋と道路を作ってた
祖父の話では朝鮮人は妙に人懐こく、橋や道路に勝手に日本名をつけてしまうぐらい併合に喜んでいたらしい

豆タンク乗ってたじいさんは
支那人相手には空砲しか打ったことないって言ってた
みんな逃げちゃうんだって

うちの婆ちゃんの弟が三菱の工場で働いてて名古屋空襲で焼夷弾食らって焼け死んだ
偵察兵の爺ちゃんが満州から帰ってまた徴兵されて九州へ輸送中に広島原爆落ちて大阪で足止め中に終戦
婆ちゃんは女学校で風船爆弾つくってた

ばあさんちの脇の田んぼに爆弾が落ちたが前日に大雨が降ったおかげでドロドロにぬかるんでて、爆発しなかった。
あと、じいさんが戦地から帰ってきたら婚約者が死んでしまっていたため、その妹(ばあさん)と結婚する運びとなった。

どれか一つ歯車が狂っていたらオレも生まれてこなかったので、不思議な縁を感じる。

母方の爺ちゃんが戦中に校長やってて生徒に軍人教育しまくった反省で戦後はコテコテの赤になって
その影響受けた母ちゃんも日教組で赤旗とどの子も伸びると毛沢東語録を愛読して沖縄反基地デモに参加するプロ市民になった

その他、感想

わいの父親、信濃に乗っててたまたま早起きしたから死なずにすんだと話してた
寝てた人たちは皆死んだと寂しそうだったわ

叔父さんが元満鉄職員だったが、終戦と同時に今まで下働きで使ってた中国人が事務所に押し入って来て、金庫の金から備品を根こそぎ持って行ったと聞いた。

じいさんは次男だけど台湾に逃げて教師してたらしい
現在でゆうところの軍属扱いで補給の手伝いもしてたみたい
終戦一月後に無事に本土帰還

母方の祖父→陸軍伍長、腹に鉛玉食らって後送されたのが幸いしインパールから生きて帰ってきた

父方の祖父→台湾や満州で憲兵、高雄で料理屋やってた婆さんを見初めて結婚。シベリア拘留後帰国

隣の奴が頭吹っ飛ばされて身体ごと自分にもたれ掛かってきた時の重さが今でも忘れられないって近所のじさまが言ってたな。

シベリアに数年間抑留された爺さんの兄は帰ってからは真冬でも半袖で暮らした
抑留中に工場で働かされていたが
途中で悪知恵が働いてノルマ分を前日に作った物と混ぜても
ソ連兵にバレ無かったと話していた

父親が小学校の校庭が全部芋畑になったと語っていた
小学校の担任が海に貝を掘りに行ったらグラマンが撃ってきたと言っていた
中学の国語教師が満州出征中にあまりにも暇であまりにも腹が減ったので近隣の畑で芋を盗んでいたら
農民に見つかって追い掛け回されたと語っていた

そして語り口は全員やや自慢気だったw

うちの祖父母は中国の満州にいてじいちゃんはなぜか戦争に取られず、
空襲も食糧難もなく、のんびり暮らしてたが
ソ連が参戦したと聞いたときだけは足が震えて立っていられなかったそうな

ソ連参戦と同時に満州の港ギリギリに引っ越して、敗戦と同時に一番で引き揚げ船に乗ってきたが、
あのまま奥地にいたら一家みんな死んでたかもしれないとばあちゃんが言うとった

露助めちゃくちゃらしいからな~
今の支那軍みたいな感じかな?
とにかく、露中は最悪だぜよw

ソ連の侵攻や終戦時のゴタゴタを除けば満州は兵隊も皆機嫌よう暮らしていたっぽいな

両親、つまり自分の祖父母のほうは農家なので食べ物はあった
結局のところ農家は最強だとのこと

高校のときの非常勤講師に元零戦乗りの爺さんがいて授業の初めの掴みトークで
ドッグファイトの思い出をよく語ってくれた

あと俺のじいさんは徴兵検査前に醤油点眼して徴兵回避した非国民

因みに祖父はどちらも東京大空襲を経験してたのでその辺りの話はよく聞いたな
でも結構なグロ話ばかりだった
そして父も母もギブミーチョコレートの話を未だに楽しそうに話すよ…

うちの爺さんは生前
朝日新聞は嘘ばかり書きやがって
許せん
って口癖のように言っていたな。

婆ちゃんはNHKでいつもやってる
戦時中の暮らしの話は嘘ばっかりだっていつも言ってた

国内爆撃あった最後のちょっとだけを全てみたいな話に盛るのはおかしい て

じいちゃんは戦争の話だけは絶対にしなくて、あまりにも話そうとしないからばあちゃんが「あの態度は絶対に戦場で人肉を食べているはずだ。」って勘ぐってた

その他、2ch反応

祖父は満州の遼寧で通信兵だったみたい
当時は隣に中国人が住んでいたんだけど、とても仲が良かったと婆ちゃんが言ってた
幼児だった親父と叔父にも中華料理を作ってくれたり良くしてくれたみたいね
でも朝鮮人だけは関わるなってのも言ってた

そろそろリミットだろうなあ。聞ける人は聞いとけよー。
生き証人からの言葉は、思想に関係なく重いぞ。

爺さん平壌にいたけど慰安婦ってのは金もらって喜んでやってた奴らって言ってた

私の曾祖母が東京大空襲にあって、歩いて栃木まできたらしい。何日も何日も死体だらけの道を歩いたって。川には焼死体の山で匂いが強烈だったってきいたな…

ラバウルで戦死した親戚がいる
この間死んだジイさんはシベリア抑留者
母方のジイさんちには、恩賜の煙草やら勲章やら色々あった

爺さんがもう海も空も米軍だらけの1944年末ごろに海軍に徴兵され台湾へ
陣地作りしたり嫌がらせの米軍機から隠れたりしていたら終戦
皆様のような派手なエピソードは無いが運が良かったなと思う

この手のスレに何度か書いたけどね
親父の兄さんがビルマで戦死
母親のお父さんが満州で戦死
母親の叔母の旦那さんが硫黄島で戦死
母親の叔母が深川で空襲で亡くなった

母親のお父さん以外は遺骨も見つからなんだよ

なんて良スレ
知ってる人達はかなり高齢だと思うが
せめてネットの片隅にでも情報を残して欲しいわ

※この記事は、2ちゃんニュース速報(旧速・保守多め)のスレ「そろそろ8月だし、おまいらが身内や知人から聞いた戦争体験でも書いてけ」をまとめた記事です。

500レスあり、ボリュームがあるスレなので、4記事に分けて出していきます。

新記事を作ったら、リンク貼ります。

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